365日
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「かぐや姫」の物語
映画館で、「風立ちぬ」の時に予告の何もかもを拒絶するように地を駆け抜けるかぐやに心臓わしずかみにされてからずっとみたかった「かぐや姫の物語」ようやく観てきました。かぐや姫の罪と罰とは。。。なんてそそるテーマなのか。ひとこで、大変な名画でした。エンドロールが終わった時、拍手してしまいたくなった。繊細で淡白なのに色鮮やか、登場人物の躍動感、美しいけどつき放されるような冷たさは無くて、温かみがある。1カットづつがとても大切なものに映るその映像美に圧倒されました。かぐや姫の女優さん、悲しみの表現が良かったと言われたそうですが、まさに、胸に迫る声だった。もう一回年内に映画館でみたい、というか今すぐもう一回みたい。できるだけ多くみたい。BDが出ることを待ち望む。
とてもすんなりと心に入ってきました。小難しく考察する必要なんてなく、ありのままに、ダイレクトに心に訴えてくる作品だと思います。清濁まるのみして混沌、それでも、だからこそ世界はこんなにも美しい。ということなんだと思う。月の世界は老いも病も争いも喜怒哀楽もない、完成された世界。でも、前にも後ろにも進まない閉じた世界。(NARUTOのオビトが無限月読で作りたい世界と同じのような感じを受けた)その中で、姫は穢土に心を動かし乱された、というか強烈に魅かれた。これが罪で、穢土に落とされたことが罰。で、穢土を拒絶し否定した瞬間、許されて月に帰ってゆく。
ここで面白いのが、かぐや姫の視点だと罪と罰が逆になっているということ。
意思を持てず流されるように仮初の庭で満足しているとウソをついて生きてしまったことが罪、かぐや姫は月に帰らなければならなくなった事を悟って、後悔に苛まれる。こんな筈じゃなかったと、思い出を辿って1つ1つを噛み締める。記憶が無くなる云々ではなく、この苦しみこそが、穢土で生きたかぐや姫にとっての罰になっている。後悔、辛い。ほんと辛い。この作品がこんなにも胸に詰まったのはこのへんだと思います。罰として下ろされたはず穢土。その地で生まれ、育って、生きてきた地球。持て余して、ままならず拒絶したはずの地で、それでも本当はもっとここで生きたかったと気付いて嘆く。決して後戻りはできない。辛い(´;ω;`)
かぐや姫が裳着の宴に心が砕けて、眉を吊り上げ、拒絶を張り付かせた顔で何もかもをかなぐり捨てて走る姿に心が引かれた理由というのが、映画をみてなんとなく分かったような気がしました。美しいものだけを見ていたい感情というか。ここの姫の感情は複雑でした。タケノコは高貴な姫君など望んでいないけれど、翁は自分のためを思って立ち回っている。その翁の気持ちを思えばこそタケノコはここに居る。でも本当は今すぐにでも里山に帰りたい。身動きの取れないかぐや姫。そこへあのデリカシーのかけらもない酔っ払い親父の言葉。翁は自分を高貴な姫君にするために、侮辱を受けた。ほかでもない、大切な翁が自分の為に侮辱された。「高貴な姫君なんかじゃない」的な趣旨の発言だったと記憶してますが、他ならないかぐや姫自身がそう思っていたから、心が砕けてしまったんだと思います。そして、美しい記憶が残るあの場所へ駆けたんだと思います。
捨丸兄ちゃんとの悲恋のくだりも美しくも哀しいという言葉がよくあてはまりますね。捨丸兄ちゃんもタケノコへの思いを住む世界がもう違うのだと押し込めて押し込めて諦めて忘れて暮らしてきた捨丸兄ちゃん…。そこへ美しく成長したタケノコが一緒に生きたかったと云われてしまえばあの時押し込めてきた感情が、ぶり返さないわけないじゃない。タケノコと再会してジワジワと感情がぶり返していくさま、一緒に逃げようとまでなる激情へ変化する過程の描き方はすごいなと。夢の中でも、というか、夢の中だったからこそ、二人を取り巻く現状をかなぐり捨てて、あそこまでお互いに何のしがらみもなく解放され、求めあえたっていうのがね。夢の中だったからこそっていうのがね。うわあああうわああ号泣 という。演出的にも夢でもあるし夢でもないっていうのも憎い演出でした。「離さないで」っていうタケノコの叫びがね。もうね、泣くよ。そして目が覚めて夢か…って現実に戻ってゆくわけですよ。うおおおおおうおおおタケノコオオオ。
2回目みてきたーーーーー。鳥虫獣、草木、花。劇中で謳い上げられているように、日本の四季おりおりの自然が描写されていました。鳥のさえずり、草木がさざめく音、とても心地良かったです。美しいです。草花の描写ももちろんなんですが、衣擦れの音とか、すそや小袿をさばく音、化粧をする、髪を結う、帯を締める、所作の1つ1つが本当に美しい。だからこそ最初のタケノコの奔放な動きにも目がいく。舞台が平安ということで耳慣れた、というか読み慣れた単語がわんさかで懐かしくて一人ニヤニヤしてました。裳着とか几帳とか女御とか帝とかetc... 今上帝に嫁ぐのであれば右大臣か左大臣の後ろ盾、というかどちらかに養子縁組とかしないと入内できないんでは?とか帝の顎とかすごい衝撃的。1回目は耐えられたけど2回目は笑いをこらえるのが大変でした。そりゃ拒絶もされるわ。帝の功罪は大きいよね。でもこのままでいってもかぐや姫は目が覚めなかったていうのも何とも言えない悲しさというか。
月からのお迎えも、最初は大変な異国情緒…というかブッダしいのキターと、音楽にもってかれた感ありました。が、2回目はあの曲「天人の曲」が流れた時は胸が詰まって涙がはらりとこぼれました。あの明るい旋律がこんなにも哀しく響く不思議。かぐや姫の哀切もタケノコのや翁、媼の悲喜交交も悲しみも意に返さないように奏でられるからなんだろうか。とにかく、衣をまとって月に還っていく「天人の曲Ⅱ」は何とも云えないものがあります。童歌を遠くに聞いて青い地球を振り返るかぐや姫の横顔はとても哀しく美しかった。
もう3回目が見たい!!! 2回目を映画館で観たとき、斜め前のおじさんが小さく拍手をしていたのをみて、おじさんと握手したい衝動に駆られました。こんなに美しい映画を見られて幸せです。感謝したい。
とてもすんなりと心に入ってきました。小難しく考察する必要なんてなく、ありのままに、ダイレクトに心に訴えてくる作品だと思います。清濁まるのみして混沌、それでも、だからこそ世界はこんなにも美しい。ということなんだと思う。月の世界は老いも病も争いも喜怒哀楽もない、完成された世界。でも、前にも後ろにも進まない閉じた世界。(NARUTOのオビトが無限月読で作りたい世界と同じのような感じを受けた)その中で、姫は穢土に心を動かし乱された、というか強烈に魅かれた。これが罪で、穢土に落とされたことが罰。で、穢土を拒絶し否定した瞬間、許されて月に帰ってゆく。
ここで面白いのが、かぐや姫の視点だと罪と罰が逆になっているということ。
意思を持てず流されるように仮初の庭で満足しているとウソをついて生きてしまったことが罪、かぐや姫は月に帰らなければならなくなった事を悟って、後悔に苛まれる。こんな筈じゃなかったと、思い出を辿って1つ1つを噛み締める。記憶が無くなる云々ではなく、この苦しみこそが、穢土で生きたかぐや姫にとっての罰になっている。後悔、辛い。ほんと辛い。この作品がこんなにも胸に詰まったのはこのへんだと思います。罰として下ろされたはず穢土。その地で生まれ、育って、生きてきた地球。持て余して、ままならず拒絶したはずの地で、それでも本当はもっとここで生きたかったと気付いて嘆く。決して後戻りはできない。辛い(´;ω;`)
かぐや姫が裳着の宴に心が砕けて、眉を吊り上げ、拒絶を張り付かせた顔で何もかもをかなぐり捨てて走る姿に心が引かれた理由というのが、映画をみてなんとなく分かったような気がしました。美しいものだけを見ていたい感情というか。ここの姫の感情は複雑でした。タケノコは高貴な姫君など望んでいないけれど、翁は自分のためを思って立ち回っている。その翁の気持ちを思えばこそタケノコはここに居る。でも本当は今すぐにでも里山に帰りたい。身動きの取れないかぐや姫。そこへあのデリカシーのかけらもない酔っ払い親父の言葉。翁は自分を高貴な姫君にするために、侮辱を受けた。ほかでもない、大切な翁が自分の為に侮辱された。「高貴な姫君なんかじゃない」的な趣旨の発言だったと記憶してますが、他ならないかぐや姫自身がそう思っていたから、心が砕けてしまったんだと思います。そして、美しい記憶が残るあの場所へ駆けたんだと思います。
捨丸兄ちゃんとの悲恋のくだりも美しくも哀しいという言葉がよくあてはまりますね。捨丸兄ちゃんもタケノコへの思いを住む世界がもう違うのだと押し込めて押し込めて諦めて忘れて暮らしてきた捨丸兄ちゃん…。そこへ美しく成長したタケノコが一緒に生きたかったと云われてしまえばあの時押し込めてきた感情が、ぶり返さないわけないじゃない。タケノコと再会してジワジワと感情がぶり返していくさま、一緒に逃げようとまでなる激情へ変化する過程の描き方はすごいなと。夢の中でも、というか、夢の中だったからこそ、二人を取り巻く現状をかなぐり捨てて、あそこまでお互いに何のしがらみもなく解放され、求めあえたっていうのがね。夢の中だったからこそっていうのがね。うわあああうわああ号泣 という。演出的にも夢でもあるし夢でもないっていうのも憎い演出でした。「離さないで」っていうタケノコの叫びがね。もうね、泣くよ。そして目が覚めて夢か…って現実に戻ってゆくわけですよ。うおおおおおうおおおタケノコオオオ。
2回目みてきたーーーーー。鳥虫獣、草木、花。劇中で謳い上げられているように、日本の四季おりおりの自然が描写されていました。鳥のさえずり、草木がさざめく音、とても心地良かったです。美しいです。草花の描写ももちろんなんですが、衣擦れの音とか、すそや小袿をさばく音、化粧をする、髪を結う、帯を締める、所作の1つ1つが本当に美しい。だからこそ最初のタケノコの奔放な動きにも目がいく。舞台が平安ということで耳慣れた、というか読み慣れた単語がわんさかで懐かしくて一人ニヤニヤしてました。裳着とか几帳とか女御とか帝とかetc... 今上帝に嫁ぐのであれば右大臣か左大臣の後ろ盾、というかどちらかに養子縁組とかしないと入内できないんでは?とか帝の顎とかすごい衝撃的。1回目は耐えられたけど2回目は笑いをこらえるのが大変でした。そりゃ拒絶もされるわ。帝の功罪は大きいよね。でもこのままでいってもかぐや姫は目が覚めなかったていうのも何とも言えない悲しさというか。
月からのお迎えも、最初は大変な異国情緒…というかブッダしいのキターと、音楽にもってかれた感ありました。が、2回目はあの曲「天人の曲」が流れた時は胸が詰まって涙がはらりとこぼれました。あの明るい旋律がこんなにも哀しく響く不思議。かぐや姫の哀切もタケノコのや翁、媼の悲喜交交も悲しみも意に返さないように奏でられるからなんだろうか。とにかく、衣をまとって月に還っていく「天人の曲Ⅱ」は何とも云えないものがあります。童歌を遠くに聞いて青い地球を振り返るかぐや姫の横顔はとても哀しく美しかった。
もう3回目が見たい!!! 2回目を映画館で観たとき、斜め前のおじさんが小さく拍手をしていたのをみて、おじさんと握手したい衝動に駆られました。こんなに美しい映画を見られて幸せです。感謝したい。
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